シドニーのはじまり

1788年のイギリスからの第一次移民船団の上陸後には、週ごとに船が着き、特に1851年のゴールドラッシュ以降は、イギリスのみならずヨーロッパからの移民が急増しました。
近年はアジアや中東からの移民も入植しています。オーストラリアは、現在でも英連邦王国の一国です。
シドニーのカトリック
オーストラリアへの移民者はアイルランド人の割合が高く、すなわちカトリック教徒が占める割合も大きいものでした。1828年の記録には、シドニーの人口 3万5千人のうち、32%がローマ・カトリックと記されています。当時アイルランドを支配していた英国は、カトリック教徒への弾圧を行っていたため、 1828年に「カトリック解放令」を出すまでシドニーへの司祭の正式な派遣は行いませんでした。1834年、ロンドンの政府はイギリス人ならばという条件 付きで、司祭の派遣を認めたのです。その後、1842年にローマはオーストラリアに正規の位階制を確立し、シドニーに大司教区が設けられました。人口の増加とともにカトリック教徒も増え続け、大司教区は幾つかの教区を分離しながら、世代を移し、アイルランド色の強かったカトリックは、次第にオース トラリア色を持つようになりました。現在ではカトリック全体においてオーストラリアが果たす役割は大きく、布教地援助のための一人あたりの献金額は世界第 2位という統計もあります。
オーストラリアにはヨーロッパ系の民族が多いため、現在では人口の7割がキリスト教徒で、中でもカトリック教徒が最も多いとされていますが、先住民族は独 自の宗教を守り、それぞれに祈りの場を持っています。また、人口の約2割は、自分を無宗教だと言っています。
シドニーのカテドラル

1986年と1995年の2度にわたり、教皇ヨハネ・パウロ二世もセント・メリーズ大聖堂を訪れました。
シドニーの町
オーストラリア大陸は日本の約22倍もの面積を持ち、3つの標準時間があるほど広大ですが、日本とシドニーの時差はわずか1時間です。そうすると近い感じ がしますが、赤道を越えた南半球にあるため、飛行機では約9時間半もかかります(成田⇔シドニー)。6つの州と1つの準州、そして首都特別地域のあるオー ストラリアの中で、シドニーは東部のニュー・サウス・ウェールズ州にあります。オーストラリア全体がユニークな地形と豊かな自然にあふれていますが、 ニュー・サウス・ウェールズ州は、美しい海岸やスキーもできる山岳地帯を持ち、海洋貿易で栄え、また多くの国々からの移民を受け入れ、各国文化が混ざった 独自の新しい文化を生んでいます。
教皇ミサが行われる予定のロイヤルランドウィック競馬場は、シドニー中心部から5キロ離れたランドウィックにあります。近くのセンテニアル・パークと合わ せ、60万人の野宿が可能とされています。(競技場に40万人を収容し、ビデオ中継されて近くのセンテニアル・パークには20万人が集う予定です。)