2008年WYDシドニー大会のロゴ
「あなたがたの上に聖霊が降ると、

あなたがたは力を受ける。

そして、わたしの証人となる」



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2008年5月25日日曜日

「WYDの十字架」と「聖母のイコン」の巡礼

WYDまでの準備期間、1年以上をかけて周辺の国々、ホスト国の各地域を旅する「WYDの十字架」そして「聖母のイコン」とはどんなものなのでしょうか。
WYDの十字架
 この十字架は、「聖年の十字架」、「ジュビリー・クロス」、「WYDの十字架」、「巡礼する十字架」などと呼ばれています。また、この十字架は教皇ヨハ ネ・パウロ二世が、世界中の様々な場所で、共に旅を続けるようにと青年たちに託したのものなので、「青年の十字架」とも呼ばれています。十字架は迎えられ た土地、運び手の信仰に刺激を与え、リレーが続いています。

  十字架の歴史は、「あがないの聖年」(1983-1984年)に始まります。教皇ヨハネ・パウロ二世は、多くの人々が訪れるサン・ピエトロ大聖堂の祭壇近 くに、信仰のシンボルとして十字架があるとよいと考え、その希望どおり高さ3.8メートル、横幅1.75メートル、重さ31キログラムの大きな木製の十字 架が置かれました。聖年の閉幕の際(1984)、 聖なる扉を閉めた後、教皇はこの十字架を世界の青年たちに託しました。教皇の言葉は、「親愛なる若者たちよ、聖年の終わりに、わたしはあなた方にこの 2000年祭のしるしをあなたがたに託します。これはキリストの十字架です。これをキリストが人類に注いでおられる愛のしるしとして、世界中で運び歩いて ください。そして死んで復活したキリストにおいてのみ、わたしたちの救いとあがないがあることをすべての人に宣べ伝えてください。」(1984年4月22 日、ローマにて)というものでした。こうして、この十字架は世界を旅する十字架となったのです。

  教皇の呼びかけに応えた青年たちは、サン・ピエトロ大聖堂の隣の、サン・ロレンツォ青年センターに十字架を運び、そこを十字架が世界を旅していない時の本拠地としています。

  国連が世界青年の年と定めた1985年、教皇の呼びかけで枝の主日にサン・ピエトロ広場に30万人の青年が集い、この聖年の十字架が据えられました。その後も十字架はヨーロッパの国々を旅し、街頭での十字架の道行も行われました。そして同年12月、教皇は翌年の枝の主日(1)から、毎年「枝の主日」をWYD(世界青年の日)を祝うことを発表しました。(国際青年年にあたっての教皇メッセージ「使徒的書簡 世界の若者たちへ」。)

  以降、枝の主日に行われるWYDでは、この十字架はローマに据えられています。そして世界大会が行われる前年の枝の主日には、前回WYD大会ホスト国の青 年代表から次回WYDホスト国の青年代表に十字架が手渡される式が、サン・ピエトロ広場にて行われています。

  1998年、枝の主日のミサの説教で教皇ヨハネ・パウロ二世は、「親愛なる若者の皆さん、今日、十字架のメッセージが再びあなた方のもとに渡されました。 3千年期に大人になるあなた方には、この十字架に寄り頼むのです。(中略)十字架は、国から国へ、大陸から大陸へ、若者たちと共に巡礼をしてきました。若 いキリスト者の皆さん、あなた方の選ぶべきことははっきりとしています。キリストの十字架において、あなたの存在、そして宣教への情熱の源を見出すことで す。」と語りました。

  アルゼンチン、フランス、アメリカ合衆国、メキシコ、ポーランド、フィリピン、カナダ、これらの国々は、青年の十字架が訪れた国々のほんの一部です。十字 架は、病院、刑務所、スラム、ユースセンター、学校、ショッピングセンター、ナイトクラブ、国定史跡、など様々な場所を訪れています。2002年にはカナ ダでの巡礼中の3日間に、アメリカ同時多発テロを受けたNYのグランド・ゼロを、米国の人々の希望のしるしとして訪問しました。

  十字架は民間航空機に乗り、軽飛行機に乗り、犬ぞりに乗り、ピックアップトラックに乗り、トラクター、ボート、漁船にも乗りました。カナダでは43日間、 ドイツでは40日間、それぞれの世界大会の前に徒歩で運ばれました。旅の間とWYDの間中、人々は十字架に触れ、抱擁し、熱心に祈るために十字架を訪れま す。

  聖母のイコン 2003枝の主日に、教皇は新しい要素を紹介しました。それ以降十字架の巡礼の旅には、聖母のイコン「Salus populi romani」 (Protector of the Roman people)が同行することになりました。「今日わたしは、ドイツ代表の皆さんにマリアのイコンを託します。これからのWYDには十字架と共に、このイ コンも同行します。あなたの母を抱きなさい。これは、使徒ヨハネのように招かれた若者の傍におられる、マリアの母なる存在のしるしとなるでしょう。彼らの 人生にマリアを迎えるために。」(2003年第18回WYD、4月13日のお告げの祈り)。このイコンは、ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂に捧 げられたイコンの複製です。WYDローマ大会の徹夜の祈りと教皇ミサの際に、置かれていました。そして十字架とイコンは、WYDケルン大会のためにドイツ 教区の訪問前に、ヨーロッパ諸国を巡礼しました。

  WYDを引き継いだ教皇ベネディクト十六世は、2006の 枝の主日、聖母のイコンがWYDの十字架とともに巡礼を行う理由について次ぎのように述べています。「ペンテコステを待ち望む使徒たちとともに、聖母は最 後の晩餐の席におられました。マリアがあなたがたの母となり、導いてくださいますように。マリアが、神のことばを受け取り、心にとめ、心に納めて思い巡ら すことを(ルカ2.19参照)、ご自分の生涯を通してなさったように、あなた方に教えてくださいますように。あなたが“信仰に心から従って”生きるよう に。主に対して「はい」と答えることができるように。マリアがあなたを励ましてくださいますように。強く信仰を持ち、希望を捨てず、人々への愛を持って、 いつも神のことばに耳を傾けることができるように、マリアがあなたを助けてくださいますように。」

  十字架に触れた人々は、多くの証言を残しています。記録された証言は、巡礼に出ていない時の十字架の保管所であるローマのサン・ロレンツォ青年センターに 収められています。また、雑誌やWYD関連の出版物にも掲載されています。木製のこのふたつの物が、人々の人生にこれほどの影響を与えることができるのか と疑問に思う人もいるでしょう。十字架が来訪した土地の人々は、十字架が再び戻ってくることを願います。彼らは、この十字架の中に神の存在とその愛を見出 すのです。また、多くの青年は復活についての理解を深め、ある青年にとっては、この十字架が歩むべき道を決断する後押しとなるのです。


注記)

(1) これ以降、WYD(世界青年の日)は毎年枝の主日に、教区レベルで行われています。1987年から2~3年ごとに毎回様々な国で、教皇と青年の集いとして世界規模で大会が行われています。